[序]

統合都市の天気予報は外れない。都市内の気候は気象庁が完全管理しているからだ。そして今夜も予報どおり、冷たい雨が降っていた。

ズシャっと音を立て、少年は足を滑らせた。舗装されていない路地裏の地面は、雨でぬかるんでいた。顔やむき出しの腕にかかる泥が、雨の冷たさのわりに生暖かくて気持ち悪かった。
 少年は泥を拭うと、すぐに立ち上がった。傘は初めから持っていない。濡れた黒髪が、額に張りついていた。
「ここまで大雨だなんて聞いてねえよ」
 こんな夜は外を出歩く者も少ない。それを見込んでの計画だったが、予想外に強い雨に少年は思わず舌打ちする。いや、予想外の出来事は他にもあった。
「マズったな」
ポケットからナイフを取り出す。手がわずかに震えているのに気づき、その手を切りつけたい衝動に駆られた。少し気分を落ち着けてから、折りたたまれた刃を剥き出す。暗くて見えないが、刃についた血が洗い流されていくのを感じた。
「―誰だ?」
ナイフに見入っていた少年は、人の気配を感じて身構える。
「あ・・・・・・」
レインコートを着た子供がこっちを見ていた。その表情は見えないが、声は完全におびえている。少年は近づこうとして、ふと他の気配に気づく。今度は大勢の足音だ。
「見つかったか!」
逃げようと向きを変えた少年の服を、さっきの子どもがつかんだ。
「お前! 邪魔すっと殺すぞ。もう人ひとり殺してんだ、脅しじゃねーぞ!」
追っ手に気づかれないように低く、抑えた声で怒鳴る。子どもはビクッと肩を揺らしたが、さらに強く服をつかんだ。
「お願い、ボクも連れてって! 『外』に出るんでしょ?」
「くそ、勝手にしろ」
このままでは追いつかれてしまう。少年は子供の手をつかむと走りだした。


 第一章 
22世紀。地球の環境悪化は、もはや人類の手に負えないものとなっていた。一年に何千万という動物が絶滅し、大地が生命を育む力を失ったとき、ようやく人類は過ちに気づいた。
「このままだと、地球は滅びます」
緊急に設けられた環境対策委員会が、『死の土』が発見されたときだった。そのころすでに、植物の育たない『死の土』が大地を侵食し始めていた。砂漠の砂とは違い、黒い色をした粘土質の土だった。水を吸収せず、植えた穀物はたちまち枯れた。その原因を知ったとき、人々は驚愕した。
「動物の死骸と関係があるらしい」
「まさか今どき、祟りだとか言うのではないだろうな?」
 当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。年々、汚染されていく大気に含まれる有害物質が、雨に溶け込み、海や大地を汚染する。食物連鎖に従って濃度を増した有害物質が、動物の体内に蓄積される。そうして、死んだ動物ごと大地へと還っていく。この繰り返しが、大地を狂わした。
「我々の体も、すでに汚染されている」
消える自然、死に逝く大地。そして、汚れていく人類。
 ―最期に残るのは何だろう?
「まだ無事な大地を確保するんだ」
比較的『死の土』の少ない地域を、ドーム状のバリアで覆うという計画が進められた。大気中に含まれる有害物質を人工的に遮断しようというものだ。まだ研究が未完成のため、雨も遮断してしまうという難点はあったが、人工的にドーム内に雨を降らせることで解決した。
まずは先進国の政府が統一され、ドームの中心に新たな政府機関を設置された。23世紀に入るころには、人類は当たり前のようにド−ムの中で生活していた。
 しかし限られた地域に、全人類を収容出来るはずはない。ドームに収容しきれなかった人々は、世界中に数多くいた。
「まことに遺憾に思います」
統一政府は遺族に対し、この事実を認めた上で謝罪した。それで終わらせるはずだった。
 ところが23世紀になって、ドーム外に生き延びた人々を発見して驚いた。
 自然は驚くべき再生能力を生かして、蘇ろうとしていた。廃墟となった高層ビルの立ち並ぶ都市は、そのほんの一部を残して、瞬く間に緑に飲み込まれた。ドーム外の人々は、自然と共存することで生き延びたのだ。
地球が浄化されたのを知って、統一政府はすぐさまドームを解除して、元の世界に戻そうとした。
 ところが、人工的に管理し、消毒された空気の中でしか生きてこなかったドームの人々は、ドーム外の空気に含まれる微弱な細菌への抵抗力すら失っていた。
 ―何という皮肉な運命だろう。
 結果的に、科学文明を過信し、地球を滅ぼす元凶を生み出した人間たちは、ドームという科学文明の檻の中に閉じ込められてしまったのだ。


「おい、斎藤。聞いたか? また少年犯罪だってよ」
休憩時間、一服しようと廊下に出た斎藤アキラは、治安部に所属する友人に呼びかけられた。
「いや。―まだ管理課には伝わってないが」
煙草を薦めながら、斎藤は眉間にしわを寄せた。
「すぐ伝わるさ。うちの上司が話してたからな。また特Aに放り込むつもりらしいぜ」
斎藤はますます顔をしかめた。やり切れない気持ちと一緒に煙を吐きだす。脳裏に浮かぶのは、彼女の激怒する顔だ。
「お前に言っても仕方ないが、何とかならんかな。特A―プライム・リージョンの統率者は女性なんだぞ。そこへ犯罪者を送り込むなんて」
斎藤が言うまでもなく、プライムの女首長の噂は有名だ。長い黒髪と瞳の、なかなかの美女だということだが、外見で判断すると痛い目にあう。恐ろしく、きつい性格をしているのだ。
「無駄だよ。上層部の奴らが特Aのことを何て呼んでるか知ってるか? 野蛮な地域(プリミティブ・リージョン)だぜ。あいつらにとっちゃ、犯罪者も特Aの住人も同じにしか見えてないんだ」
まあ諦めろ、と彼は斎藤の肩を軽くたたくと自分の部署へ戻っていった。備え付けの灰皿に吸い殻を押し付けながら、斎藤はもう一度大きくため息をついた。
斎藤の所属する特別管理課は、ドーム外にある政府特別管理地区を文字通り管理する機関だった。管理と言っても、それぞれの地区には統率者がいて、ちゃんと自立している。
 それを管理と言って、いいように利用しようとしているのは政府の方だ。唯一、食料の支援をするのが、それらしい活動であった。
「今回の事件は、旧東京都Aの5ブロックで犯罪を犯した少年が《外》に逃げたというものだ。―食料運搬ルートをうまく利用してな」
休憩後、さっそく上司からの説明があった。斎藤をはじめ管理課のメンバーは、またかという表情を浮かべた。
食料運搬ルートが犯罪者の逃亡に利用されたのは、今回が初めてではない。それにもかかわらず、何の対策も出されないのは、政府が犯罪者の逃亡を望んでいるからだろう。斎藤は無言で席を立った。
「どうした? 話しはまだ終わってないぞ」
「いえ、話ならすでに聞いています。今から特Aの統率者に連絡を入れておこうと思って」
「そうか、助かる」
上司はあからさまに嬉しそうな顔をした。彼は特Aの統率者が苦手だった。確かに彼女のあの性格のきつさは半端ではない。特に今回のような報告をする役など、誰もが避けたがるだろう。 斎藤は大きく息を吸ってから、電話に手をかけた。


統一政府特別管理A地区―プライムは、季節の変わり目だった。夏から秋へ、容赦なく暑い日が続くかと思えば、急に涼しくなったりする。ドーム内の都市のように、常に住みよい気温に調整されることはない。
カヤはいつものように、A地区担当の管理課から報告を受けていた。粗末なプレハブ小屋は政府が建てたもので、プライム唯一の通信機関である。
 開け放たれた窓ガラスが、小さく振動したのに気づいて、受話器の向こうの相手に怒鳴った。
「ちょっと待って!」
 やや間があって、食料運搬用ヘリが小屋の上空をかすめていった。激しい振動に机がガタガタと音を立てる。カヤはぐっと机を押さえつけた。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
乱れた黒髪を直しながら、相手の説明に耳を傾ける。
「少年の出身は、統合都市・旧東京都Aの5ブロック。いちおう補足しとくが、あそこはロクな街じゃない。未だに少年犯罪が絶えないし、それを取り締まる機関も錆びついてる。少年の無法地帯といってもいいかもな」
補足してもらわなくても、旧東京都と聞いただけで想像はつく。『無法地帯』という表現に、カヤは皮肉な笑みを浮かべた。「それは親切にどうも。―つまり、無法者は無法地帯にほうり込めってこと? 冗談じゃないわ」
「上層部では君の実力をかっているんじゃないかな」
カヤの剣幕に、相手はなだめるように言った。そんな言葉に乗るほど、カヤはお人よしではない。
「はん、あいつらに実力かわれても嬉しかないわ。せいぜい面倒ごとを押しつけられるだけじゃない」
「―そうだな」
カヤは思わずこめかみを押さえた。ここ最近、苛々することが多く、すっかり癖になってしまっている。
「用件は以上よね? 切るわよ」
「おい、ちょっと・・・・・・」
慌てる相手を無視して、カヤは受話器を下ろす。ろくでもない連絡内容に腹が立った以外に、もう一つ理由があった。
「人の電話に聞き耳立てるって言うのは、あんまり褒められた趣味じゃないわね」
ばんと派手にドアを蹴飛ばすと、泡を食ったように数人の男たちが走り去って行った。後ろ姿しか見えなかったが、だいたいの見当はつく。20代という若さで、しかも女性である彼女が統率者の地位についたことを、快く思わない人間は数多くいる。
「文句がありゃ、正面切って言えばいいのよ」
腰に手を当てて、男たちの逃げた先を睨みつける。
「いやー、それは怖くてできないでしょう。カヤさん強いし」
いきなり後ろから声をかけられて、カヤはぎょっとした。慌てて振り向くと、白衣を着た青年が立っている。腰まで届きそ
うな銀髪に、同じ色の瞳。希有なのは髪や瞳の色だけでなく、その美貌もだった。プライムの女性たちにやたら人気のある彼だったが、カヤは思い切り嫌そうな顔をした。
「いつからいたのよ、カーティ」
声をかけられるまで、全く気配を感じなかった。ある意味、カーティのほうがよっぽど怖い気がする。
「あんたね、いくら『医者』だからって、他の仕事はしなくていいとは言ってないわよ。盗み聞きしてる暇があるなら、さっさと働きな」
カヤは作業着を羽織りながら、カーティを睨んだ。『医者』の存在は、ここ《統一政府特別管理A地区》では貴重だ。だからと言ってカヤは、他の連中のようにカーティを特別扱いしたりはしない。彼女にとって、普段仕事のない『医者』は穀潰し以外の何者でもないのだ。
「でも、白衣を汚すわけにはいきませんしね」
ふうっとため息まじりにカーティが言う。わざわざ憂いを帯びた表情まで作ってみせる。他の女性ならころっとだまされそうだが、カヤの反応はそっけなかった。
「だったら脱げば」
さっさと道具を用意しながら、事もなげに言う。カーティは白衣の胸元を押さえて、恥じらう仕草をする。
「そんな・・・・・・カヤさんたら、大胆な」
「下にちゃんと服を着てるだろうが!」
もう相手にもしたくないといった顔つきで、カヤは仕事に出掛けようとする。そこへ、また電話が鳴った。
「はい。―え? 今から? わかった、すぐ行く」
受話器を下ろし、カヤはしばらく考えた後、道具をカーティに押し付けた。
「あんた。仕事をする気がないなら、荷物持ってついて来な」

 

 

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