第五章

  サキトたちが来てから、一週間が過ぎた。日毎に気温は下がり、ようやく秋らしくなってきた。すでにサキトたちの畑も、植え付けが済んでいた。

「あんたたち、いい季節に来たねえ。ちょうどこれから種や苗を植える時期だよ」

「真夏だと水やりが大変だし、何も植えられないからなあ。」

  隣の畑で働いていた夫婦が、サキトにそんなことを言っていた。種の蒔き方や育て方をあれこれ教えてくれたりもした。

「ディック、今から外へ行くぞ」

「畑?」

  サキトは着替えながらディックに声をかけた。すぐにディックが駆け寄ってくる。顔色はだいぶ良くなっていた。ドームの人間は抵抗力が弱いと聞いていたが、サキトやディックの場合は、自然の中で暮らしが良い方へと作用したようだ。

「ああ。お前もついてくるか?」

「うん!」

  嬉しそうにディックは用意し始める。ディックが外へ出るのが大好きだと知ったのは、数日前のことだった。

「ボクはアメリカで入院してたんだ。ベットに縛り付けられて、注射をいっぱい打たれて。もうすぐ外に出してあげるからって、毎日そればっかり言うの」

「ずっと外に出たかったんだな」

「うん。でも出してくれなかったんだ、だから・・・・・・」

  ディックは急に暗い顔になった。そんな変化には気づかず、サキトは話を続ける。

「だから逃げたのか。なるほどな。いい選択だったんじゃねーか?  そうやって元気になったんだからさ」

「う、うん」

  それきり、ディックはその話をしようとしなかった。サキトは別に気にしなかったが、今日のように、外へ行くときは、それとなくディックも誘ってやっている。

「おや、二人とも出掛けるんですか?」

  カーティが欠伸交じりに尋ねる。寝起きのため、せっかくの綺麗な銀髪がくしゃくしゃに乱れていた。

「あんたさ、本当に働かねえよな」

  サキトが呆れたように言う。長い髪をかきあげながら、カーティは嫌そうに顔をしかめた。

「そういうお小言はカヤさん一人で充分ですよ。最初から思ってましたが、あなたたちはどこか性格が似ていますね」

「あんな女とどこが似てるってんだよ!」

  サキトが反論したとたん、後ろから思いきり殴られた。言わずと知れたカヤである。

「あんな女とは何だ! まったく。カーティ、あんたもこの単細胞バカなんかと私を一緒にしてんじゃないわよ」

  カーティは曖昧に笑う。似てると思ったんですけどね、と懲りずに小声で呟いた。

「ところでいつ来たんですか? カヤさん」

「たった今よ。―別に急用でもないんだけど」

  立ち寄って正解だった、とカヤは腕組みしながら言う。それから頭を押さえて痛がっているサキトの方を見た。

「ついでだから伝えとくわ。明日、政府の連中があんたに会いに来るのよ。何考えてんのか知らないけど、嫌な感じだったわ」「彼らに会ったのかい?」

  サキトではなくカーティが口を挟む。

「電話よ。斎藤じゃなく、保安部の人間からね。あいつら、どういうわけかサキトが二人も人を殺したと疑ってるのよ」

  カヤの言葉に、サキトの顔色が変わる。怒りと悲しみが入り交じった表情を浮かべた。

「何だよそれ! 俺は一人しか殺ってねーよ」

「ふざけてるでしょ。だから、疑いを晴らしに行くのよ」

「あんたは・・・・・・信じてくれるのか?」

「当たり前よ。一人殺したぐらいでびびってるあんたに、二人も殺せるわけないじゃない」

「・・・・・・」

  あまりな言われようだったが、とりあえず信じているのは事実のようだ。それだけで少しサキトの心は救われる。

  ぎゅっと唇をかんで、サキトは顔を上げた。

「わかった、行くよ」

 

  カヤが帰った後、サキトたちは畑へ向かった。結局、カーティはまた眠ってしまったようだ。もう何を言っても無駄だろう。

「あ、芽が出てる」

  ディックが畑にしゃがみこんで歓声をあげた。つられてサキトものぞき込む。

「本当だ。レフィーの言ったとおりだな」

  水に浸けて、種を柔らかくしてから蒔くと早く芽が出る、と教わったのだ。

「礼を言わなくちゃな」

  畑に水をまいて一段落着いたところで、サキトたちはレフィーの畑に行ってみた。

「―何だよ、これ」

  レフィーの畑はめちゃくちゃに荒らされていた。よく見ると、足跡がたくさんある。どうやら複数の人間が踏み荒らしていったようだ。

「ひでーことしやがる・・・・・・」

  サキトが呟いたとき、ふいに石つぶてが飛んできた。そのうちの一つが額に当たる。

「痛っ!」

  驚いて額に手を当てると、指先に血がついた。少し出血しているようだ。

「この悪党め! 孫娘を殺しかけておいて、まだ物足りんのか!」 

  石を投げた犯人が、土手から喚いている。かなり腰の曲がった老人だった。

「そこでおとなしくしておれ! 今とっ捕まえてやるっ」

「サキト! 誤解だよ、おじいさん!」

  少し遅れてやってきたディックが、慌てて老人にすがりつく。「離せ!」

  体の弱いディックだが、相手もかなりの年寄りだ。何とか取り押さえたところに、サキトは駆け寄った。

「悪いな、ディック。もう離していいぞ」

  ディックは崩れるように地面に座り込んだ。サキトは老人の肩を押さえて、落ち着かせようとする。

「じいさん、本当に俺じゃねえよ。俺たちはレフィーに礼を言いに来ただけだ」

「違うのか・・・・・・。すまん、悪かったな」

  老人は大きく息をついた。本当にすまなそうに、怪我をしたサキトと、息をするのも苦しそうなディックを交互に見る。

「実は今朝、畑に出かけたレフィーが、盗賊どもに襲われて大怪我をしてな。―どうやら畑の野菜が狙いだったみたいじゃ・・・・・・」

「大怪我って! 放っておいたらまずいじゃねーか! 医者を・・・・・・そうだ、カ−ティを呼ぼう」

「無駄じゃよ、もう手遅れじゃ」

「そんなのわかんねーだろ! ディック、じいさんを見ていてくれ」

  サキトは急いで小屋へ戻った。まだ寝ているカーティをたたき起こす。

「カーティ、仕事だ! レフィーが大怪我した! 早く来てくれ」

「何ですか、いきなり。ちゃんと説明してくださいよ」

「説明してる暇なんかねーよ!」

  無理やりカーティの手を引っ張って、レーフィーの家へと向かう。さすがにカーティも観念したのか、おとなしくレフィーの家へと入った。

「これはひどい・・・・・・」

  レフィーを見たとたん、カーティは眉をしかめた。サキトも思わず吐きそうになるのを堪える。かわいらしい少女の面影はほとんど無く、見るのも無残な姿でレフィーは横たわっていた。鎌で切りつけられたのか、あちこち切り傷がある。一番ひどい傷は、喉から胸にかけてぱっくりと裂けていた。

「まだ生きているのか?」

  思わず聞かずにはいられない状態だった。レフィーの祖父の態度も、納得いく気がした。

「かろうじて、息はしています。脈がだいぶ弱っていますが・・・・・・」

  傷を消毒しながら、カーティは辛そうな表情を浮かべる。

「はっきり言って、危険な状態です。傷のせいで熱も上がってきている。このままじゃ先に脳がやられます。一命をとりとめたとしても、傷は残るでしょうし、下手をすると意識も戻らないかもしれません・・・・・・」

「だからって、何もしないで諦めるのか? 死んだ方がましだと言って見殺しにするのかよ?」

「そうだと言ったら、どうしますか?」

「言わせねえ! できるだけやってみろよ! 何もしないで諦めるなんて、絶対許さねえからな!」

「他人のことなのになぜ、そんなにムキになるんです?」

「他人とか関係ねえよ。人の命の重みがわからない奴なんか医者じゃねえ」

  サキトの手が震える。人の命が失われる瞬間を、その手で感じていた。一生、あの感触は忘れられないだろう。

「後でどんなに後悔したって、失ったものは戻らねえんだよ!」  サキトはすっと立ち上がって、小屋を出て行った。取り残されたカーティは、深々と息をつく。

「患者の側で大声で怒鳴るなんて。助からなかったら、サキトくんのせいですね」

  そんなことはさせませんが、と独りごちる。そして、彼は治療に専念し始めた。

 

  再びレフィーの畑に向かう途中、サキトは道端にしゃがみこんでいるディックを見つけた。

「ディック! どうしたんだ?」

 慌てて駆け寄ったが、ディックは顔を上げようとしない。思わず肩を掴んで揺さぶると、ディックはのろのろと顔を上げた。  顔色が悪く、いつもは明るくきれいな緑色の瞳は、ぞっとするほど暗く陰っていた。

「おじいさんが、レフィーさんを怪我させた奴らを見つけて・・・・・・」

  それだけ聞けば充分だった。あの老人のことだ、また頭に血が上っているに違いない。けれど、相手が悪い。レフィーを平気であんな目に遭わせる連中だ。おとなしく老人に捕まるはずがなかった。

「じいさんは無事なのか?」

  サキトが尋ねると、ディックは虚ろな瞳のまま、曖昧な笑みを浮かべた。

「わからない。血が、いっぱい出てたよ。真っ赤な・・・・・・血が、いっぱい」

  危うい表情だった。ショックで精神がやられているのかもしれない。このままディックを置いていくのは不安だったが、今は怪我をしたらしい老人を助けるのが先だ。

「ここで待ってろよ」

  そう言い置くと、大急ぎでレフィーの畑を目指した。間に合わなかったら、という嫌な予感が先走る。

 畑に着くと真っ先に、血まみれで倒れ臥している老人の姿が目に入った。

「じいさん! 生きてるか!」

 慌てて駆け寄ると、老人は顔だけ動かしてサキトを見た。

「大丈夫だ、半分は相手の血じゃ。あいつらめ、これで済んだと思うなよ」

  思いの外しっかりした声に、サキトはほっとする。この分だと命に別状はなさそうだ。

「奴らはどこに行ったんだ?」

  老人に尋ねたとき、サキトは誰かの気配を感じてすばやく身構えた。

「ここにいるよ」

  いつの間にか、畑に複数の若者が立っていた。一人は怪我をしている。おそらく老人にやられたのだろう。

「お前らが・・・・・・レフィーをあんな目に遭わせたのか」

  サキトは男たちを睨みつけた。

「見ない顔だな。いや、待てよ」

  居並ぶ黒髪の男たちの中で、一人だけ燃え立つように赤い髪をした男が前に進み出る。体格も一際優れている。どうやら彼がリーダー格らしい。

「お前か。最近プライムに来たっていう人殺しは。ちょうどいい、仲間に誘おうと思ってたところさ」

  男はサキトを見て、面白そうに笑った。

「誰がお前らなんかの仲間になるか!」

「お前、あくせく働いて楽しいか? 楽しいわけないよな。こうやって、人のもの奪った方が楽だろう?  お前もやったことあんじゃねえのか?」

  男の言葉に、サキトは唇をかむ。確かに、サキトも以前は人から金を脅し取っていた。それは変えようのない過去だ。沈黙を肯定と受け取って、男はさらに口を開く。

「俺たちは同類なんだよ」

「お前らなんかと、一緒にすんなよ!」

  過去は変えようがない。限度は違うと言っても、所詮は同類だったかもしれない。

「何だと!」

  男たちが血相を変えて詰め寄ってくる。サキトは老人を巻き込まないように、その場を離れた。赤毛の男が、サキトの胸倉を掴む。

「上等じゃねえか」

  男はサキトの顔を殴りつけた。唇が切れたのか、口腔に鉄サビの味が広がる。サキトは血をペッと吐き捨てた。

「今、お前らの前にいるのは、過去の俺じゃねえよ!」

  過去は変えようがない。限度は違うと言っても、所詮は同類だったかもしれない。けれど今のサキトは、前と同じではない。それもまた、変わることのない事実だ。

「なぜ反撃しない?」

  男が苛立つように言う。サキトがケンカ慣れしていることは見れば分かる。しかし、サキトは全く抵抗しようとしなかった。「反撃したら、お前らと同類になっちまうからな」

  男のこめかみに青筋が立つ。サキトは吐き捨てるように言った。

「二度と戻る気なんかねえんだよ」

  ―あの頃の自分に。

「過去のことは忘れましたってか。お前みたいな人間が、一番むかつくんだよ」

  男はさらにサキトを殴った。もう何を言われても、サキトは動じなかった。過去のことを忘れたわけじゃない。忘れたら、また同じ過ちを繰り返してしまうだろう。

「俺は忘れねえ!」

  サキトは意志を貫くように叫んだ。ふいに男はサキトを解放した。

「そこまでだよ」

  カヤが、畑の側に立っていた。体格のいい大勢の男たちを前にしても、一向に怯んだ様子はない。つかつかと歩み寄ると、リーダー格の男を睨みつける。

「首長さんのお出ましか。でもわかってるんだろ? ここじゃあ俺たちを裁く法はないぜ」

「わかってるよ」

  カヤは唇の端を吊り上げる。次の瞬間、男の股間を蹴りあげていた。

「法に関係なく、お前を裁いてやるよ!」

  リーダーをやられて、仲間たちは色めき立った。カヤは男の首筋に刃物を突き付ける。

「動くんじゃないよ。―いいか、邑じゅうの人間がお前らの敵だ。今後、お前らを見たら殺してもいいと言ってある」

「何だと・・・・・・」

「目には目を、歯には歯をだ。今までのようにおとなしく襲われると思ったら大間違いだ」

「まさか」

「そんなことが、あってたまるか」

  男たちの言葉に、カヤは鮮やかな笑みを浮かべる。

「おや、忘れたのかい? ここは無法地帯だよ」

  カヤの迫力に気圧されたのか、男たちは思わず息を呑んだ。その様子に、赤毛の男がチッと舌打ちする。

「そんなんでビビってんじゃねえ! どうせハッタリだ」

  その台詞に、カヤは半眼になる。

「本当だよ。誰かが襲われようものなら、すぐにでも邑じゅうの男たちが飛んでくる。命の保証はないよ」

  何しろ政府から武器も支給してもらったからねえ、と続ける。そのまま、男の首筋に当てた刃物をすうっと横に滑らせた。

「ヒッ」

  男が声にならない悲鳴を上げる。ほとんど切れていないが、冷たい刃物の感触は、男の肝を冷やすには充分だった。

  男が怯んだのを見て取って、カヤは思いきり男を突き飛ばした。

「嘘だと思うんなら、今ここで証明してあげてもいいわよ」

  刃物を構えながら、男たちに視線を巡らせる。

「この女ふざけやがって!」

  カヤに掴みかかろうとした赤毛の男を、仲間たちが慌てて取り押さえる。

「やべえよ、こいつ目がマジだよ。ここは一つ引き下がろうぜ」  仲間たちは完全に脅えた顔で、彼らのリーダーに取りすがった。

「くそっ! 覚えてろ」

  赤毛の男は憎々しげにカヤを睨むと、仲間たちを叱咤しながら立ち去った。

  男たちの姿が見えなくなると、カヤは力が抜けたように座り込む。サキトと目が合うと、ふっと表情を緩めた。

「あれでしばらく、あいつらは来ないわ。結束がなきゃ、活動できないだろうし」     

  カヤの言葉に、サキトは呆れ果てた表情を浮かべた。

「まさか、全部ハッタリなのか?」

「当たり前でしょ。いつ邑に触れ回る時間があったっていうのよ? ディックに聞いて、慌てて飛んで来たんだから」

  もっとも今後は防衛に力を入れるつもりだけどね、とカヤは真顔で言った。

「あんたってやっぱり、いい奴なのか悪い奴なのか、わかんねーな」

  サキトは本心からそう言う。カヤは驚いたようにサキトの顔を見た。

「そんなこと思ってたの?」

「あんたに限らず、プライム中の人間がそうだと思うけどな」

「じゃあ、サキトも入ってるね」

  軽口を叩きながら、二人は立ち上がった。レフィーの祖父を助け起こし、家へと連れて行く。あとはレフィーの容体が心残りだった。

「カーティ」

  レフィーの家の前で、カーティとばったり出会う。カーティはサキトたちを見て、大きくため息をついた。

「おい何だよ、そのため息は!」

  サキトが血相を変えて問い詰めると、カーティはくすくすと笑い出した。

「全く。君はどうして私を働かせたがるのでしょうね。君が来てから、どっと仕事が増えましたよ」

  そう言って、サキトの頬を掴んで引っ張った。忘れかけていた唇の傷が痛んだ。

  いて

「痛てて・・・・・」

  サキトは涙目になりながらも、「レフィーはどうしたんだよ」とカーティを睨む。

「さっき、やっと容体が落ち着きましたよ。傷の手当ても済みましたし、熱も下がってます」

  一息つけると思ったのに、とサキトとレフィーの祖父を見て、もう一度ため息をつく。

「覚悟しなさい、優しくなんてしてあげませんからね」

  ようやく騒ぎが終わったと思ったら、カーティの復讐が待っていた。カヤは他人事だからと、面白がっている。

  レフィーが助かったことで、サキトたちはすっかり安心していた。だから、何か大切なことを忘れていることに気づかなかった。

  ―そのために、サキトたちは大いに後悔することになる。

  

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