第六章

  その日ははどんよりとした曇り空だった。何となく気分まで重たくなるような朝だ。

  昨日のゴタゴタで、サキトは疲れ果てていた。重い瞼をこすりつつ体を起こすと、いつの間にか隣でディックが眠っていた。「カーティ、ディックはいつ帰って来たんだ?」

  何かの薬を作っていたカーティが振り向く。妙に疲れ果てた顔で、ろくに眠ってなさそうだった。

「知らないんですか? 幸せな人ですね」

  ぶつくさ言いながらも、カーティは昨夜のことを手短に説明した。

「君は手当てが終わったとたん、倒れるように眠ってしまったから、私が布団まで運んだんですよ。ディックはその後すぐに帰って来ましたよ」

  それよりも、とカーティは声を落とした。横目でそっとディックのほうを伺う。いっこうに起きる気配はなかった。

「ディックのことで、何か知ってることはありませんか? 彼の病気や入院していた病院のことなど」

「さあな。旧アメリカにいたときに、入院してたって話は聞いたぜ。ほとんどベットに寝たきりで薬漬けだったって」

「そうですか・・・・・・」

  カーティは難しい顔つきになる。あどけないディックの寝顔を見ながら、何やら思案しているようだった。

「何かあったのか?」

「いえ、別に」

  サキトが心配して尋ねれば、何ともそっけない返事が返ってきた。

「別にってこと・・・・・・」

「それより、今日じゃないんですか? 事情聴取」

「あ、ああ。そうだけど」

「早めに行った方がいいですよ」

  追い立てられようにして、サキトは小屋を出た。どうも何か隠しているような気がする。

「おい、ボウズ」

  カヤの元へ向かう途中、サキトは呼び止められた。包帯だらけの老人が手招きしている。レフィーの祖父だった。

「じいさん。怪我は大丈夫か?」

「ああ、お前さんのお陰じゃ。レフィーも良く眠っておる」

  心から嬉しそうに老人は言った。昨日とは打って変わって落ち着いた様子だ。

「礼ならカヤとカーティに行ってくれ」

「いや、お前さんがいなかったら、あの二人も動かなかっただろうよ」

  サキトは褒められることに慣れていないため、返答に詰まってしまった。話題をそらそうと、カーティのことを持ち出した。「なあ、じいさん。カーティは前はあんなんじゃなかったって、レフィーに聞いたことがあるんだけど、本当なのか?」

  前から気になっていたことでもあるが、さっきの態度で余計に、まだまだカーティについて知らないことが多いと気づいた。

「ああ。あの男の親友が生きていたときは、もうちっとマシじゃったな。ドームでは名医と言われていただけに、親友が救えなかったことが辛かったんじゃろう」

「カーティってドーム出身だったのか」

「知らんかったか? ドームで問題を起こして、ここへ飛ばされて来たんだ。親友も一緒だったが、ここの環境に体が順応しなかったのか・・・・・・若くして亡くなってしまった」

  それでレフィーのときもあんなに弱気だったのか、とサキトは納得する。

「それ以来、医者とは名前ばかりで、怠けてばかりいるようになった。―そんな男を、お前さんは動かしたんじゃ。大したもんだよ」

  結局、話はそこに戻ってしまった。サキトは適当に話を切り上げて、老人と別れた。

  まもなくプレハブの小屋にたどり着く。

「何? 難しい顔して」

  出迎えたカヤが、不思議そうに尋ねた。知らず知らず、顔が強ばっていたようだ。

「―ああ、もしかして緊張してんの?」

  カヤは勝手に解釈すると、サキトのためにお茶をいれてくれた。誤解だったが、お茶は遠慮なくいただくことにした。プライムへ来てから、水以外の飲み物は飲んでいなかったからだ。

「もうすぐ来るわ。大丈夫、私も立ち会うから」

  そうカヤが言ったとたん、ドアを叩く音がした。今度は出迎えることをせずに、カヤは座ったまま返事をする。

「入っていいわよ」

「失礼する」

  刑事らしい男と、斎藤が入って来た。どちらもあの特殊なスーツを身につけている。入る前に女の声がしたような気がしたが、入って来たのは二人だけだった。

  椅子に座ったとたん、刑事は口を開いた。

「余計な話は抜きだ。本庄サキトくん、だね」

「ああ」

「単刀直入に聞こう。君は、この少年を知っているか?」

  刑事は一枚の写真を見せる。全く知らない顔だった。サキトは怪訝な顔で刑事を見る。

「知りません」

「そうか・・・・・・。君は中年の男性を殺してから、どうした?」

「逃げました。途中、ディックに出会うまでは一人でした」

「この少年は、何者かに殺されたんだよ。目撃者の話によると、犯人は被害者の少年を殺した後、少年が着ていたレインコートを奪って逃げた。現場から立ち去る前に『ドームの外へ行く』という言葉を残したそうだ」

  サキトは刑事の言葉に、何か引っ掛かりを覚えた。自分は、何かを知っている気がする。

「いいか、『ドームの外へ行く』と言ったんだよ。あの後ドームの外に出たのは、君とディックという少年だけだ」

  刑事がこだわっている言葉とは、微妙に違う。思い出そうとして、サキトは髪をかきむしった。

「あの夜は、確かに雨だった。びしょ濡れになったから覚えている・・・・・・。途中で子供に会って・・・・・・」

  悩むサキトを、刑事は罪をごまかそうとしているのだと誤解した。

「君に会ってもらいたい人がいる。会えば、君も話す気になるだろう」

  ドアの向こうに声をかける。すぐに一人の少女が入って来た。ほっそりとした顔のおとなしそうな少女だ。そう思うのは、ずっと彼女がうつむいたままだからかもしれない。

「紹介しよう。君が殺した男性の娘で、三村リョウコさんだ」

  刑事の言葉に、サキトははっと息を呑んだ。その名前には聞き覚えがある。殺した男が、ひたすら呼んでいた名前だ。

  今まで成り行きを見守っていたカヤが、いきなり机をバンと叩いた。

「ちょっと! 話が違うじゃない! 事情聴取をするだけだって言ったじゃない」

「カヤ・・・・・・。口出しはするなという約束だろう」

「先に約束を破ったのはそっちよ! こんな、人の心を踏みにじるようなやり方、許せないわ」

  たしなめたのは、斎藤だった。カヤの怒りは収まらず、今度は斎藤に食ってかかる。

  そのとき、ずっとうつむいていたリョウコが顔を上げた。青白い顔が、みるみる赤く上気していった。その瞳は自分の父親を殺した少年に対する憎悪に燃えている。

「あなたが・・・・・・あなたがお父さんを!」

  強く握り締めた手が微かに震えている。それでも声はしっかりしていた。

  さすがにカヤも、空気の変化を察してか口をつぐむ。リョウコは一歩、サキトの方へと踏み出した。

「どうして、どうしてお父さんが殺されなきゃいけなかったの? どうして殺したのよ!」

  リョウコの怒りと哀しみは、連れて来た刑事でさえ持て余すほど激しかった。

「お父さんを返して! 返してよ!」

  どんなに詰られても、サキトは何も言えなかった。たとえ何も言っても、リョウコには届かない。そう気づいていた。

「リョウコさん、落ち着いて」

  見かねた刑事がなだめに入っても、リョウコは叫び続けた。

「ごめん」

  それまで黙っていたサキトが口を開く。

「謝られたって、どうしようもないのよ!」

 そう言われるのは分かっていた。それでもサキトは言わずにはいられなかった。リョウコは耳を押さえる。

 これまで泣き暮らしていたのか、すでに真っ赤になったリョウコの瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。誰も彼女の涙を止めることなどできない。

  彼女を落ち着かせるため、斎藤がドームへと送って行った。

「刑事さん、これがあんたの望んでいたことなの?」

  心の傷の癒えないリョウコを引っ張り出してきて、ようやく自分の罪を認めて向き合うことのできたサキトを追い詰めて、その先に望むものはいったい何だろう?

  カヤの問いかけを、刑事は無視した。

「本庄サキト、気持ちは変わったか?」

  刑事はあくまで任務を遂行するつもりらしい。カヤは軽蔑しきった目で刑事を見た。

「どうしてそこまでするの? どちらにしろサキトに統合都市の法は及ばないわ」

「もし罪を認めれば、すぐに強制送還する。本当なら事情聴取もドーム内で行われるはずだった」

「馬鹿な! どうしてそんなこと・・・・・・」

「この件は、よくある少年犯罪じゃ済まされないんだよ。本当は、本庄サキトには無差別大量殺人の疑いもかけられている。そんな人間を逃がしたと知れたら、こっちのメンツに関わる」

「そんなちっぽけなことで、あんたは二人を傷つけたの?」

  カヤは怒るのを通り越して、哀れむような表情を浮かべる。

「ちっぽけとは何だ! 無差別大量殺人だぞ!」

 刑事はムキになって怒鳴る。あくまで自分のしたことは正しいと信じているようだ。

「問題をすり替えていませんか? あなたがたにとって、本当に大事なのはメンツでしょう」

  穏やかに、しかしどこか皮肉っぽさを含んだ声がする。一同が振り向くと、ドアにもたれて、ゆったりと構えるカーティの姿があった。

「カーティ、貴様なぜここに!」

  刑事が泡を食ったように言う。どうやらカーティとは知らない仲ではなさそうだ。

「ああ、勘違いしないでください。私は電話を借りに来ただけですから。―どうぞ続けてください」

「貴様、取り込み中なのがわからんのか?」

「静かにしてくださいよ」

  受話器を持ったまま、カーティは顔をしかめた。本当に電話をしている。刑事は一瞬、呆気にとられた顔をしたが、再びサキトの方に向き直った。

「本庄サキト。どうなんだ? 良心が痛まんのか? あの少年を殺したのはお前だろう。今まで何人殺したんだ? 誰でもよかったのか?」

  問い詰める刑事に、カヤが割って入る。

「どうして・・・・・・その少年を殺したって言ったら、無差別大量殺人に結びつくのよ?」

「少年を殺した手口と、あちこちで発生している無差別殺人の手口が似ているんだ」

「それって、やっぱりサキトは違うんじゃないの? だったらどうして三村リョウコの父親は違う手口だったのよ」

  もっともな指摘に、刑事は嫌そうな顔をした。

「手掛かりはちゃんとあると言っただろう。犯人は確かにドームの外へ行くと言ったんだ。本庄サキト、いい加減に認めろ」

「俺・・・・・・俺は知っているはずなんだ」

  またあの感覚が蘇ってくる。きっと、わかっているのに認めたくないのだ。符号はぴたりと合っているのに。

  雨の夜。レインコートを着た子供。虚ろな瞳。そして・・・・・・。

『お願い、ボクも連れてって! 《外》に出るんでしょ?』

  頭の中が、真っ白になる。サキトは声を上げて床にしゃがみこんだ。

「サキト!」

  カヤが慌てて駆け寄る。そのとき、ガチャンと受話器を下ろす音が響いた。

「もういいですよ、サキトくん。君の疑いは晴れました」

  カーティが優しく言う。しかし、一方でその声は悲しみを含んでいた。

「どういうことだ! 本庄サキトが黒か白かは警察が決めることだぞ」

「どこへ電話したのよ?」

  事情の飲み込めない刑事とカヤが、カーティに詰めよる。

「旧アメリカの総合病院です。そこでディックの入院していた病院を調べました。―彼は、薬の副作用で精神に異常をきたしていました。病院側はそれを隠し通すため、彼を病院に閉じ込めた」

「ディックというと、本庄サキトと一緒にドーム外に逃亡した少年か」

  刑事は頭を抱える。

「特に問題も感じられなかったから、詳しく調査はしなかったが・・・・・・」

「ある日彼は、病院に火をつけて脱走した。ほとんどの患者が焼死したため、彼自身も焼け死んだものと思われていたんですよ」

  すでに死者となった彼は、誰に追われることもなく、統合都市へと潜り込んだ。

  そして・・・・・・。

  刑事は静かに首を振った。もう説明の必要はなかった。サキトも突き付けられた現実を、少しずつ受け入れ始めていた。

「でも、あいつはどうなるんだ? あいつは悪くないんじゃないのか? あいつは・・・・・・ただ『外』に出たかっただけなのに」「それでも、犯した罪は消えないよ。彼は何十人も殺したんだ。おなかが空いたと言っては人を殺し、雨に濡れると言っては人を殺し」

  刑事の言葉に、カーティがやり切れない表情を浮かべる。人を殺すことで、ディックは生き延びてきた。

「それなら私は、どうなるんでしょう? 私だって、何十人も人を殺した。何が違うんですか?」

  刑事は答えなかった。カーティとは何度か顔を合わせたことがあるが、彼がドームで何をしたか、なぜプライムへ来たのかという事情までは知らなかった。

 それに、きっとカーティは誰の返事も期待していない。

「ディックは、今どうしているの?」

  カヤがぽつりと呟く。

「まだ寝ているはずです。昨日様子がおかしかったので、薬を飲ませました」

  気を取り直したカーティがそう言ったが、サキトはなぜか胸騒ぎを感じた。

「薬って・・・・・・」

  サキトの言葉に、カーティがはっと気づいたように顔を強ばらせる。

「しまった! 彼には薬に対する抵抗力が人並み以上に強いんだ。もう起きているかもしれない」

  繰り返し、注射によって薬を打たれていたディックには、普通の薬は効かなくなっている。だからこそ彼は、病院を脱走することができた。

「急ごう! 昨日のあいつは本当に様子がおかしかった!」

  真っ先にサキトが飛び出して行く。すぐにカヤたちも後を追った。

 もっと早くに気づくべきだった。レフィーの祖父が襲われたとき、ディックは大量の血を見てしまった。あのとき、安定しかけていたディックの精神を刺激してしまったのだ。

「ディック!」

  朝見たときと同じ、穏やかな寝顔が見れることを願う。カーティの小屋に足を踏み入れたサキトは、その場に立ち尽くしていた。

 ――――ディックの姿はそこにはなかった。

  

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