第七章

「ディックは? サキト」

  追いついたカヤが、サキトに声をかける。

「ここにはいない」

「じゃあ、他を捜すわよ」

  一向に動こうとしないサキトに、カヤは苛立つように言った。それでもサキトは動かない。カヤに背を向けたまま、ぽつりと呟く。

「俺のせいだ。あいつの様子がおかしいこと、気づいてたのに、俺はあいつを置き去りにした」

「だったら、今度こそ迎えに行ってやりなさいよ。後悔なんて誰にでもできるわ! 大切なのはそれじゃないでしょ!」

「俺が、迎えに行くのか?」

「あんたにしか出来ない! ディックを《外》へ連れ出してやったのはサキト、あんただろ!」

  早く行ってやれ、とカヤが怒鳴る。いつもそうだ。彼女の言葉は、サキトを動かす。

  それは、カーティを動かしたサキトの言葉と同じ力だ。

『君たち二人は、どこか似ていますね』

  カーティに言われた言葉を思い出しながら、サキトは再び走りだした。

「サキト、こっちです!」

  畑の方から、カーティが血相を変えて走って来た。長い銀髪がすっかり乱れている。

「非常にまずい事態ですよ。赤い髪の大男を相手に、ディックが暴れてます」

  赤い髪の男と言えば、思い浮かぶのはただ一人。レフィーに瀕死の怪我を負わせ、その祖父にも怪我を負わせた男だ。

「畜生、何であいつが!」

  サキトは急いで畑に向かう。そこでは、すでに惨劇が繰り広げられていた。二人とも凶器を持っているので、うかつに近づけない。

  ディックの方は、もう立っているのがやっとという様子だ。それでも眼がランランと光っていて、すさまじい形相をしている。

「何なんだ、こいつは」

  赤毛の男は相手の異様な様子に、すっかり脅えているようだった。ディックを襲うというよりは、自分の身を守るためにディックを傷つけているようだ。

「やめろ! それ以上ディックに手を出すな!」

  サキトの声も、耳に入らないようだ。仕方がない、と鳩尾を殴りつけると、男はあっけなく倒れた。

「来るな! ボクは外に出るんだ!」

  カーティが近づくと、ディックは刃物を構えた。もう現実すら見失っているようだ。

「ディック、君はもう外に出ただろう?」

  なおもカーティが近づこうとすると、ディックはいきなり刃物を振り回した。白衣の裾が切り裂かれる。慌ててカーティは飛びのいた。

「だめだ、手の施しようがない。あれは私の治療用のメスですね・・・・・・」

  どうして持ち出したのか、とカーティがどうでもいいことを呟く。カーティには任せておけない、とサキトは前に進み出た。「ディック、迎えに来たぜ」

  そう言って、手を差し伸べようとすると、ディックは身体を強ばらせた。

「迎えなんて知らない!」

  指先を刃物で切りつけられて、サキトは思わず手を引っ込めた。やっぱりもう言葉は届かないのだろうか、と諦めかける。でも、このままでは後悔だけで終わってしまう。そんなのは嫌だった。

「ディック」

  手が痛いのを我慢しながら、今度はしっかりとディックの手首を掴む。また少し傷が増えたが、もう離しはしなかった。

「ディック、一緒に《外》に行こう」

「・・・・・・サキト?」

  ディックの手から、メスが落ちた。そのまま倒れ込むディックを、サキトが抱きとめる。

  徐々に体温を失いかけているディックの手を握る。少しでも、自分の熱が伝わるように。

「サキト、本当はボク・・・・・・少しだけ覚えてるだ。たくさん・・・・・・人を殺しちゃった。だからボクは・・・・・・サキトとは一緒に《外》に行けない」

「ばか、ディックはちゃんと外にいるだろ?」

  サキトの言葉に、ディックは少し笑みを浮かべた。そのまま瞳を閉じる。一筋だけ、涙が頬を伝って落ちた。

 

 

  カーティから一部始終を聞いた刑事は、深々とため息をついた。

「まさか、死人に縄を打つようなことはしないでしょうね」

 皮肉たっぷりにカヤが言うと、刑事は力無く首を振った。三村リョウコをドームに送り届けて戻って来た斎藤が、代わりに口を開く。

「ディックという少年は、そもそもドームではすでに死んだ人間だ。どちらにしろ、迷宮入りになったさ」

  そうだな、と刑事はうなずく。

「本庄サキトに伝えてくれ。疑ってすまなかった、と」

「自分で伝えな。それに、他にも謝ることはあるんじゃないの?」

  カヤの言葉に、刑事は決まりが悪そうな顔をした。こほん、と咳払いをする。

「それで、そのサキトくんはどうしたんだ?」

  斎藤がカヤに尋ねる。カヤは少し表情を曇らせた。

「後で会いに行くわ」

  まだ彼はショックから立ち直っていない。あの後、サキトは声を上げて泣いていた。

『本当に、こんな終わり方しかなかったのかよ』

  そう聞かれて、さすがにカヤも何も言ってやれなかった。カヤ自身、今度のことはショックだったから。今は、時間が癒してくれるのを待つしかない。

  斎藤は事情を察して、そっと目を伏せた。

「そうか。じゃあ、俺たちはそろそろ帰るよ」

  刑事と二人、帰り支度をして小屋を後にする。斎藤にとっても、ひどく後味の悪い事件だった。

「全く、野蛮な地帯(プリミティブ・リージョン)の連中は考えてることがさっぱりわからん。――――なぜ、あんなにも多くのものを背負って生きていけるんだ」 

ヘリに向かう途中、刑事はしみじみと呟いた。斎藤がそれを聞きとがめる。

  いつかカヤが、プライム・リージョンという呼び名について語ってくれた言葉を思い出した。             

「それは少し違うな。ここは野蛮地帯(プリミティブ・リージョン)なんかじゃない。彼らは 『最良の地域(プライム・リージョン)』の住人だ。幸せも、苦しみも最上級なんだよ」

  そう言って、斎藤は夜空を仰ぎ見た。

 

 きっと彼らならどんな苦しみも悲しみも乗り越えられる。その先にはきっと、最高の幸せが待っているだろう・・・・・・。

 

  

 

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